太宰府小学校校歌



校歌の由来
昭和初期の原田郁三郎校長が、母校小倉師範の校歌の替え歌として作詞。小倉師範の校訓「礼儀 規律 勤労」をそのまま太宰府小学校の校訓として1〜3番の歌詞に表し、併せて太宰府の歴史も表している。当時、校歌のある小学校は少なく児童たちも誇らしく歌ったという。
一番
礼儀を菅公(菅原道真)の徳にあやかって正しくしていこうと意図したものである。
二番
大宰府政庁は、立派な建物が東西南北に規律整然と建てられていた。その様子を偲び校訓の規律に掛け、序言葉的な使い方をしている。
三番
宝満山の雄大な様や登山するのに困難なことを勤労意欲や心身を鍛えることに役立てようとしたものと思われる。
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